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《道心》

作為空手道的修練者,是通過修練技巧來體會仁德,而這種修練是深奧而嚴厲的,沒有日夜不間斷的勉勵,就無法領略到空手道的精髓。要培養自身堅強刻苦的堅韌精神,關鍵是艱苦忍耐,不能夠怠慢,要不間斷地努力修練,透過這種訓練可以去除一切雜念。演武的時候要心無雜念,如果有雜念,可能會對自己和對手雙方都會造成損害。

最初那霸手是保護自身的武術,而現代是以鍛煉身心為目的,而不是為了攻擊別人,惡意傷害他人的行為是絕對不允許的。作為一個練武者,除了追求技術應該更重視心態,如果練武者的心態不正,是無法提高真正的技術,也沒法提升仁德。沒有仁德修練的空手道是邪道,過度的傲慢自信,最終會敗壞流派的聲譽,去到這地步只有選擇離開。

剛柔流空手道的「道心」是追求克己復禮的精神,保持心境平靜,對雙親要盡孝道,要了解祖先的恩惠、老師的恩情,朋友間要和睦相處,要達至仁德的最高境界,特別是尊師重道的禮節,對求道者是不可或缺的道義,相反沒有遵從這個道義的人,即使技術有多好,也沒資格成為剛柔流門下的修練者,對這些人應該要拒之門外。

磨練技術,追求仁德修鍊,追求心靈的平靜,直至意識到控制自己內心的克伐慾望,是漫長而艱難的道路,正如感受到世事無常,明白神佛偉大的教導,放下自己「內心的執著」,達到「不拘泥」的心境,這是剛柔流的終極願望,絕不可忘記。

 


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そもそも 空手道とは技の修練を通じて人としての仁德を会得すろことにありその修練は奧深く厳しく日夜の絕えざろ励みがなくては極意に達すろことは出来ない自己に打ち克つ強固の精神力を養い苦しさに耐え飽かず怠らず日々まさに継続することが肝要である演武にのぞめば雑念を払い精神を統一し無心の境地にあって初めて技が定まりその境地の乱れにより自らの身体若しくは相手の身体をも損うことなる

那霸手ではあつたが現代にあつては自己の心身鍛練を目的とした技てあつて他を攻めるためのものではなく いたずらに事をかまえて他人を傷つける如き行為は断じて許されないと心得るべきである従つて技よりも心のあり方に重きを置くべきであに心正しからずば真の技の上達も仁德の向上もない技のみに固執して仁德の修練のない空手は邪道であり己を過信し高慢となりやがて流派の名を損う所業に至つて門外へ去るべき羽目に陥ることを知るべきである

わが剛柔流空手道の道心とは己に克ちて礼に復えり心 の平靜さを保ち親に孝をつくし祖先の恩惠と師の恩を知り朋友と相和するための仁德を極めることにあると心得るべきである特に師に対しての礼節を守ることは道を求める者にとつて欠くべからざる道義でありこれに反する者は技がいかに優れているといえどもわが剛柔流の流門の求道者としての資格に值いせず門外に去るべきである自ら辞あことのない者は破門とさるべきてある

技を磨き仁德修練を積み心の平靜を追求することに專念するに至つて自己内部を克伐怨欲を自己統御することがいかに至難の長い道のりである ことに気づき世の諸行無常を身をもそ感ずるに及んで神仏の教えの偉大さを知り己の’心のこだわり’を捨て’とらわれない’ 心境に至ることこそわが剛柔流の究極の願いであることを忘れてはならない